2014年6月14日土曜日

青いイルカと泳いだ日・性転換+スピリチュアル

アロハ
いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆



初めての小説「ブルードルフィン」は基本的にGLBTな内容ですが、それだけではありません。
 
今までの著作と同じように、サイキック+スピリチュアルな世界観でストーリーが展開されます。
 

普通では見えない、感じられない世界を、GLBTの世界を通して描きました。
 

そんな内容なので一言で簡単に説明するのが難しい著作です。
 

今までの著作との共通点としてあげられるのは、小説の舞台になっている〝ハワイィ〟という島々、そして海です。
 

その次がハワイアン的な精神世界とサイキックな感覚の世界。
 

この二つに新たなGLBT世界が加わっています。
 

GLBTな部分はその世界に住んでいない人たちにとっては〝あなたの知らない別の現実〟的に映るかも知れません。
 

そのGLBTな部分でさえアメリカ的なので日本のGLBTシーンとも趣が違うのではないかと思います。
 

「ブルードルフィン」はハワイ+サイキック&スピリチュアル+GLBTという三本立てな内容の、ちょっと変わった小説ということです。
 
 

この作品で主に書きたかったのは、普通の人間として経験し得る類いの内容です。
 

友情、恋、セックス、失恋、混乱、喪失、病気、死、愛、再生などという普遍的なテーマです。
 
 

そこで三人の主人公を登場させました。
 

その内の一人、COCOが性転換をして女性になったトランスジェンダーです。
 

転換前ではなく、転換した後のことで、男と女という〝性の狭間〟の視点。
 

肉体と心のギャップがテーマの半分で、男から女性へ身体を作り替えてから新たに始まった心の旅路、精神性の変容のような内容です。
 

COCOを通じて性転換に関係する内容が語られますが、 性転換そのものよりも、彼→彼女の世界観が性転換を巡ってどう変わり、最終的にどこを目指したかを書いてみたかったのです。
 

性転換して男の形から女の姿になったけれど、自分自身と上手く折り合いがつかない。
 

男だったという過去から逃げられない。
 

男だった時の心の痛みは掻き消せない。
 

身体は女性になっても心がその中に落ち着かない。
 

本当の自分に近づくために性を変えたけれど、本当の自分が分らなくなる。
 

完璧に近く女に近づいたけれど自分を完全な女として感じられない。
 

COCOの〝自分と向き合う〟〝ありのままの自分を受容する〟という精神的な葛藤は、自分の性に対して疑問を持ってない人たちとベクトルの度合いが少し違うだけで、誰もが何かしら同じようなジレンマや葛藤を抱えています。
 

〝○○な自分が嫌い〟
 

〝自分の○○な部分が気になる〟
 

〝○○な自分になりたい〟
 

自分の中にある自分との葛藤、理想の姿とのギャプ、コンプレックスというのは、それを見つめれば見つめるほど大きくなり、変えようともがいて動けば動くほど、抵抗するほど逆に縛られてしまう。
 

ありのままの自分を認め、そこから変容していくという自己受容のテーマは、人間の精神的な成長、スピリチュアリティーと密接に繋がるものです。
 

そして、それに深く関係するのがセックス=性+性別です。
 

性+性別に縛られるか、それから自由になるか。
 

その先にあるのが性別を超えた人間性です。
 

初めての小説でGLBT+性転換+薬物依存+HIV/AIDS+サイキック&スピリチュアルを選んだのは明確な理由が色々とあります。
 

私の周囲のスピリチュアルに傾倒する友人たちに試験的に小説を読んでもらったのですが、その中の数人が言いました。
「もっと普通のスピリチュアルな話しだったら入り込めたのに」

 

主人公を普通のヘテロな男性または女性にして、もっと無難な内容のスピリチュアルなテーマで書くことを考えなかったわけではありません。
 

例えば

予期してなかった出来事で人生につまづいて、旅に出て自分自身のことを知っていくとか

不思議な出会いのグルに導かれて精神性が開かれていくと か

青天の霹靂でETとコンタクトできる人に知り合って宇宙文明と宇宙そのもののことを理解していくとか

突然に不治の病を宣告されて、生き残るために 様々な可能性を求めて世界中のヒーラーを訪ねて廻るとか。
 

そちらの方が断然に一般的だし、自分に当てはやすく共感しやすいのは明確です。
 

しかし私はそこに興味がありませんでした。
 

〝一般的なスピリチュアル〟を書く気は始めからなかったし、必要性も情熱も感じませんでした。
 

それは多くの人が書いているからです。
 

将来的にスピリチュアルな内容を盛り込んだ小説を書くとしても、一般的な内容は選ばず、誰もが意外性を感じることを皮切りすると思います。
 

私にとってGLBT世界が最も身近だということもありますが、あえてGLBTな世界を通じて別視点でのスピリチュアリズムを提示したかったのです。
 

セクシャルマイノリティーの世界は ヘテロセクシャルな人にとって様々な感情や観念、視点を沸き上がらせることは間違いないでしょう。
 

それはヘテロな性しか知らないから。
 

ヘテロ性な視点ではそれがノーマル:普通で、それ以外はアブノーマル:普通でないと思いがちだからです。
 

しかし、それらの視点はヘテロ性が貼付けた勝手なレッテルであり、男性が女性を蔑視する男尊女卑的な視点とホボ同じレベルだとしか言いようがありません。
 

GLBTな世界を蔑視する、気持ち悪いと嫌悪する、全く別世界のことだと境界線を引いてしまうなら、無条件の愛、人類愛、世界平和などを目指しているスピリチュアリズムからほど遠いのは誰の視点からでも明白でしょう。
 

国連は2013年の年末に全世界に向けて同性愛嫌悪に対するメッセージを公表しました。
 

いま世界は人種や性差別、文化的または宗教的な偏見や隔壁を乗り越えようとしているのです。
 

人間がその他の人間を性別または性的な趣向の方向性が違う、人種が違うということだけで、蔑視したり暴力を振るう状態の精神性では、眼に見えないスピリ チュアル世界に招かれたり、文明的にも惑星間航行ができるというテクノロジー的にも意識も遥かに進化している地球外文明とのコンタクトなど起きなくて当り 前です。
 

なぜなら、それらの世界は、性別や人種、宗教観を超えた意識の次元にあるからです。
 

スピリチュアルな世界は、奥を目指して突き進んでいけばいくほど、生易しさは消えてなくなり、容赦ないハードボイルドになります。
 

それらと深く繋がり始めると、自分と言う人間の全ての側面が測りにかけられ、多角的に試され、どこまで精神性が成長したのか問われ続けます。
 

自分の性に対する意識、性差別、男尊女卑
 

人種的な偏見、宗教的な価値観や信条
 

フォビア的な側面、猜疑心
 

恐れ、怒り、悲しみ、孤独感
 

愛情の度合い、その広さと深さ
 

傲り高ぶり、優越感、エゴ、縄張り意識、感情のコントロール
 

嫉妬やライバル心
 

知性、学習心、 向上心、強調性、理解力、創造性、想像性、実行力
 

とにかく、ありとあらゆる自分勝手な思い込みや、意識の制限などが容赦なく試されます。
 

そういう理由から、オヴラートに包まれたかのようなファンタシー的な要素の強いスピリチュアルもどきを書く気はサラサラなかったのです。
 

先にも書いたように、スーパーリアルなイラスト世界を目指していた人なので、こうなのではないかと想像したイメージに近い世界ではなく、現実世界の延長線上として、リアル感の強いスピリチュアルな話しを書きたかったのです。

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