2014年6月27日金曜日

青いイルカと泳いだ日・ココ・デ・ラムール

アロハ

いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆



ココ・デ・ラムール
 

泳ぐだけの脚本もどきから小説への移行の大きな切っ掛けになったのがCOCOでした。
 

まだ完全な小説の形にもなっていない冒頭の場面で、男二人が出会う場面を書いていて、そこにCOCOを登場させたら、そこから思いがけない展開へ向けて進み始めたのです。

ビーチのシーンでジムがハナレイを発見し、COCOに聞く場面です。

彼女をジムの連れとしてビーチに座らせた瞬間から一気に全てが変わってしまいました。

何の気無しに登場させたCOCOが私の頭の中で話しだしたのです。

それから頭の中に明確なシーンが浮かんでくると同時に、わたしが全く予想してなかった展開で彼女が話の内容を導き始めたのです。
 

彼女が話の中に完全に組み込まれた時点で、後にハナレイとなるキャラクターが私の頭の中で話し始め、この二人のキャラクター設定が進んでゆく段階で、彼女の特殊な能力に絡む、ある種のミステリー仕立ての展開が本格的に始まっていったのです。 

そして彼女を通じてエンパシックな能力のことや、恋人を失ったハナレイの過去や、ケビンの違灰、バーニング・マンなどの沢山のアイデアがやってきました。
 

COCOがハナレイを見た時に青いオーラが見え始めた部分は、まるでドライブのギアがガシリと入って超高速で走り出し、自動書記したかのように、深く考えることも、迷うこともなく流れるように息つく間も惜しんで一気に書き上げました。
 

それまでハナレイの設定も曖昧だったのですが、あのシーンのために彼は〝セルリアンブルーのオーラに赤い光りがフラッシュするHIVと生きる青年〟という背景に決まってしまったのです。
 

COCOとハナレイの基本的な設定は明確になりましたが、それから先の話しの筋も、山場もクライマックスもエンディングもないのは同じです。

小説もどきとして呼吸をし始めたことは明確にわかりましたが、最終的にどこへ辿り着くのかなど検討もついていませんでした。
 

自分の中にあったのは〝これから先どう進むのか?〟という興味だけです。
 

行き当たりばったりで書き始めたわけですから、それから先もなんとか進むだろうという変な信頼というか、漠然とした予感しかありませんでした。

小説家になりたいとか、小説を書きたいではなく、この三人の成り行きをもっと知りたいので、波に乗って辿り着く所まで書き進めてみようと思ったのです。
 

このようにカナリ曖昧に書き始めてしまった物語が手探り状態で前に進んでいくことができたのは、COCOに与えたサキックなギフトのお陰です。

彼女をサイキックではない普通の人間として描いていたら、この話しは全く別の進み方とエンディングになっていたでしょう。
 

COCOをサイキックとして描くという発想は青天の霹靂的に天から落ちてきたというのが正解で、その結果としてCOCOに自分のギフトを分け与えてしまいました。

性転換したいと思ってない私が彼女に近づくには、サイキックな能力を与えるのがベストな解決策だったとも言えます。
 

そして勢いでCOCOがハナレイの真っ青なオーラを目撃してしまう場面の下書きを終えた時に〝サイキックなトランスジェンダー〟という一風変わったキャラクターが誕生したのです。
 

そんな感じで作ってしまったのは良いけれど・・・。
 

サイキックな感覚は得意分野なのでリサーチも必要なく、迷いも懸念もありませんでした。

このジャンルであればいくらでも引き出せるし、アイデア的に苦労することはないと思えるほどです。
 

しかし性転換というテーマは別物でした。

初期段階では性転換の方向に話しを進めるのかどうかも定かではない状況で、それに関する内容を上手く書けるかどうか怪しいものでした。
 

これから先にも書きますが、小説の中で書かれている彼女のサイキック的な経験は私の実体験を元に脚色してあります。
 

彼女を自分と近づけさせるために、自分で最もよく解っているサイキック的な痛みを与えることで、もっと身近に感じられ、別次元で解るのではないかと思ったのです。

彼女の半身を借りることで、それまで自分が経験してきた〝サイキックという異端な世界+サイキック的な痛みの経験〟を〝性転換という異端な世界+性転換に伴う感情や肉体的な痛みの経験〟に重ねることが可能なのは明白でした。
 

サイキックと性転換という言葉尻だけでは全く違う互換性のない世界のように思えるかもしれませんが、それぞれの経験としては〝普通の人から掛け離れている〟という意味で同じような部分が多いと思います。

そんな部分を COCOというキャラクターを通じて同時に表現することができると思ったのです。

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2014年6月23日月曜日

青いイルカと泳いだ日・女装とトランスジェンダーの違いとは?

アロハ

いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆




女装とトランスジェンダーの違いとは?

GLBTというのは、G:ゲイ、L:レズビアン、B:バイセクシャル、T:トランスジェンダーの頭文字を並べた、セクシュアルマイノリティーの総称です。

その中でよく思い違いされるのがトランスジェンダーだと思います。

トランスジェンダーの精神性について本格的に知りたいと思ったのは小説が切っ掛けでした。 

頭の中の仮想現実にリアリティーを加えて小説化するために、性転換に関することを良く知りたいと思った私は、トランスジェンダーの友人にインタビューを申し込みました。

そして別のトラニーの方にも話しを聴き、性転換をテーマにした映画やドキュメンタリーもかなり観ました。

そこまで学習したことで「ドラッグクイーン&女装趣味 VS トランスジェンダー」の違いが明確に解ったのです。

このリサーチは小説のためでしたが、様々な角度から、とても強い衝撃を受けました。 

男性で女性の格好をするのが好きな方々がいらっしゃいますが、そのような趣向は頻繁に女装フェチとも呼ばれ、その逆で女性で男装が好きな方々もいらっしゃいます。

この〝女装〟または〝男装〟というカテゴリーがややこしいのです。

まずゲイの男性の総てが女装したいわけではありません。

それと同じくゲイの女性の総てが男装したいわけでもありません。

女性的な男性が好きなゲイの方もいらっしゃいますが、パーセンテージ的には半数以下でしょう。

一般的にゲイの男性は、自分と同じ男の外見の方が好きなのです。

古い日本的な観点だと、男性が好きな男性=女性的→女装趣味という固定概念が強いかも知れませんが、この理解は間違いです。

それと同じように、女性が好きな女性=男性的→男装趣味というのも正解ではありません。

同性愛の場合は、お互いを愛するために異性愛の形のように片方の男性が女性化、または片方の女性が男性化する必要はないのです。 



ヘテロセクシャルな世界での「女性と男性でペア」という視野はヘテロな法則ですが、それをGLBT世界に当てはめて考えるのは無理があり過ぎるとしか書きようがありません。


ドラッグクイーン&トランスベスタイト

次に女装というのも色んな分野があります。

エンターテイメントとして女装するゲイの男性は、一般的にドラッグクイーンと呼ばれ、傾向的にスタイルとしては大げさで、鬘もメイクもド派手で演出が強いものです。

ドラッグクイーンはエンターテイメントの延長線上にあるファッション的な〝スタイル〟なのです。

そしてドラッグクイーンになって出かけ、社交を楽しんでいる男性の多くは、性転換して女性になりたいとは思っていません。

ドラッグクイーンの主体は、一時的に女性の格好をして、ファッション、または演劇的に楽しむ、または周囲を楽しませるという〝様式美〟です。

ゲイのドラッグクイーンと似た方向性で、ストレートの男性で女装を楽しみたい方々もいらっしゃいます。

こちらは一般的に女装フェチと呼ばれるようです。

女性の格好や下着、香水などに愛着が強い男性の方々のことだと私は思っています・・・。

ようは、女性が好きでたまらない男性が、女性の下着の臭いを嗅いでしまう的な衝動、その延長線上にあるのではないかと思うのですが、この部分は私の脳では憶測の域を出ることは無いので、よく解りません・・・。

男性としてボクサーパンツが好きか、ブリーフが好きか、パンティーが好きかという、皮膚感覚の違いのようなものではないでしょうか・・・。

このジャンルは、トランスベスタイト/女装趣味とも呼ばれます。

一言に女装といっても奥が深いものです。

一時的に女装を楽しみたい男性の方向性は二つに分かれます。

①ゲイ男性のドラッグクイーン

②ストレートまたはバイセクシャルな男性のトランスベスタイト

パッと見では同じような感じがしますが、本質的には大きな違いがあります。

このややこしい世界に、真剣に女性になりたい男性が混在しているので解りにくいのです。 

これらの世界を最も解りやすく説明できるのは、香りかも知れません。

ストレートの男性は女性的な香りに誘惑されますが、ゲイの男性はそうではなく、男性的な香りに引かれます。

アロマセラピーを通じて精油のことを勉強した人ならよくわかると思いますが、香り=匂いというのは、直接的に脳や感覚的な刺激へ働きかけることが可能な類いのものです。

匂いが食欲を刺激するように、性的にも精神的にも大きな影響力を持っています。


トランスジェンディング
 

トランスジェンダーというのは、男性の身体に生まれたけれど、中身は女性なので、性転換して女性になった方々のことです。

女性として生まれたけれど、中身は男性。女性が性転換して男性になった方々も含まれます。

トランスジェンダーは性転換まで追求するわけですから、一時的な娯楽レベルの楽しみではないことが根本的な違いで、ドラッグクイーンとトランスジェンダーの精神性は大きく違うのです。
 

性転換に関しては、完全に総てを手術してしまう方と、顔だけ、胸だけなどと部分的に変更する方々もいらっしゃいます。

ドラッグクイーンは遊びだけれど、トランスジェンダーは一人の人間としての存在意義がかかっているのです。
 

ですから、ここの部分を一緒くたにしてはいけません。
 

トランスジェンダーは一時的な女装のレベルではなく、生涯を通じた女性になることが目標だということです。

一般的には、この違いが解らないために、トランスジェンダーをドラッグクイーンと勘違いしてしまうことが多いのです。
 

性転換というのは手術を受ければ完了するという簡単なことではありません。

多くの場合は家族関係や、人間関係を危うくさせ、場合によっては〝命がけ〟です。
 

この小説のために色々とリサーチした結果、自分の命を掛けてまで性を変換したいと願う人たちの精神性と、一時的な遊びを一緒にしてはいけないのだとよく解りました。

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2014年6月22日日曜日

青いイルカと泳いだ日・ヘテロな異世界

アロハ

いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆



ヘテロな異世界
 

小説ブルードルフィンの文字校正を頼んだ活字中毒の友人から質問されました。

彼女は二人の息子を立派に育てた50代のヘテロセクシャル女性です。
 

では一体なにを聴かれたか?


「ゲイの人たちって女性になりたいんじゃないの?」
 

ドッヒャ~! と呆れ顔になってしまう類いの質問です。

いったい何度この手の質問をされたか解らないし、数えるのも止めました。
 

世の中のヘテロセクシャルの頭の中は興味深いです。

どうしてヘテロの方々は、男性が好き=女性化したいと考えるのでしょう?
 

「男が好き=女性になりたい」または「女性が好き=男性になりたい」という図式は、ヘテロセクシャルな世界観のみに通用するものです。

この考え方はヘテロ性の視点から捉えたステレオタイプの姿です。
 

理由はそれしか当てはめられないから。
 

では、ヘテロ思考での「男が好きだから女になりたいのでは?」というアイデアがどこから生まれるのでしょうか?
 

これは男女の間で行われるセックスの体位に関係しているとしか思えません。

男性は女性に挿入する、女性は男性を受け入れるという図式が男女間では普通です。

それに当てはめて考えてしまうのは妥当な考えだと思いますが、実はゲイの世界では趣が違う部分が沢山あります。

これに密接に関係するさらに不可解な質問があります。
 

「どっちが男役なの? どっちが女役なの?」
 

これも極めてヘテロ的なもので、雄+雌という動物的な考え方、異った姿の性器に固執した考え方とも言えます。
 

ヘテロなセックスは「挿入したい+挿入されたい」という体位に固執している、執着しているようです。
 

そのアイデアをゲイの世界に押し当てるのは極めてナンセンス。

ゲイセックスの場合〝ヘテロな挿入〟が必ずしも適用されるわけではありません。
 

解りやすく男女のセックスの図式に当てはめて、挿入する立場を男役、受け入れる側を女役としましょう。

男女の場合この図式が変わることはありません。

しかしゲイの場合は変わりえます。

ゲイのセックスにも体位的に男役、女役という位置はありますが、それだけではなく両方できる方も多々います。

立場をスイッチできる、両方の立場が好きなカップルも多いのです。

また〝挿入〟はヘテロな法律かも知れませんが、ゲイセックスの中では絶対的な位置でもありません。

中には挿入を好まない人、挿入がセックスの中心ではないカップルもいるのです。
 

ゲイの場合、同じゲイの男性に愛されるために自分を女性化させる必要はありません。

基本的に女性的よりも男っぽい男性の方がもてはやされます。

ヘテロの世界でも男っぽい男性を好きな女性もいるし、中世的な男性が好きな女性もいます。

中には若くて子供っぽい男性がお好みの女性も多々いるでしょう。

ヘテロ男性でも、女っぽく、色っぽい女性がお好みな男性もいますが、男性側からの女性の好みのヴェリエーションはそれだけではありません。

男性的な強さを持っている女性に引かれる男子も多々いるし、女性の尻に敷かれたい男性も多々いるように見えます。

その発展系ではカッコいいブラックレザーの女王様にビシバシと鞭で打たれて犯されたい男性は意外と多いものです。
 

では、これを簡潔にまとめてみましょう。

ヘテロセクシャルであれ、ホモセクシャルであれ、性愛の基本は〝性が表される形〟です。
 

ヘテロ男性は〝女という形〟が好き。

ヘテロ女性は〝男という形〟が好き。

ヘテロな世界では男+女でペア:対になり、その基本は、自分とは違っている〝異性の形〟を選ぶということです。

この部分がヘテロセクシャルとホモセクシャルでは違います。

ホモセクシャルの基本は〝自分と同じ形〟を選ぶことです。
 

ゲイ男性は〝男という形〟が好き
 

ゲイ女性(レズビアン)は〝女という形〟が好き
 

ちなみに〝ゲイ〟という言葉は、男性に対してだけでなく、女性に対しても使われます。

これをゲイ&レズビアン:G&Lセクションと呼びます。
 

そして世の中のゲイ男性の総てが女性化したいわけでも、ゲイ女性の総てが男性化したいわけでもありません。
 

男性で女性化したい、女性で男性化したい方はTセクションに属する方々です。
 

T=トランスジェンダー:性転換者
 

そして意外と思うかも知れませんが、性を変換したいと望んでいる方々の意識=中身は同性愛ではなく〝ヘテロセクシャル:異性愛〟です。
 

中身=魂の方向性がヘテロだということです。
 

ということで、ゲイの方にヘテロな視点で質問をする際はよく考えてから聴いてください。

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2014年6月21日土曜日

青いイルカと泳いだ日・性転換に関するインターVIEW

アロハ

いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆



性転換に関するインターVIEW
 

そこで私は友人となったトランスジェンダーに電話をかけ、社交の場では持ち出されることがなかった、性転換に関する話しを聴かせて欲しいと頼みました。
 

私たちはワイキキの外れにあったドーナツ屋で落ち合い、カジュアルな感じで話し始め、気がついたら興味本位なレベルを満足させる的な角度を遥かに超え、かなり掘り下げて聞いてしまいました。
 

それまで性転換までの行程など全く知らなければ、どれだけ長くかかるものなのか皆目検討もついてなかったわけです。

おおまかなステップの行程を聞き終えた時の正直な感想は〝そ・・・そんなに大変なのですか・・・?〟でした。
 

今の自分に欠けている姿になりたいと切望するのは理解しやすいと思います。

例えば、男性として男っぽく逞しくなりたい、格好よくみられたい、女性として女性らしく美しくなりたい、理想的な母親、父親になりたいと思うのは共感しやすいでしょう。
 

トランスジェンダーの場合は、それよりも遥かに強い、肉体まで改造したいという魂レベルでの切実な願いがあるということです。
 

実際に自分の目の前に性転換を成した人が座っていて、そのことを話してくれた内容は、驚きというよりも、衝撃的でした。
 

当時の彼女は女性ホルモン投与の真っただ中で、副作用で精神的にも肉体的にもかなり辛い状況に置かれていました。

そして、性を転換するという経験を乗り越えようとしている人の語る真実は、私の憶測を遥かに超えたもの、想像を絶する世界だったのです。
 

友人は一人の人間として、自分が願っていた理想の姿になるために手術を決断しました。

自分を完全な女性として思えるように、性転換を決心したのです。

言い換えれば、性転換することによって自分を完全に女性として感じられると思ったという捉え方もできます。
 

それでも随分と長く迷ったと話してくれました。彼女の場合は強い衝動から手術を決めたのではなく、理性的に決断したケースです。

目標は女性の身体に変容することですが、そこで楽観視はせず、賢くリサーチして、様々な角度で性転換というものが作り出す〝副作用〟を調べたのです。

その中には精神的な副作用と肉体的な副作用があり、考え無しに決断してしまうと結果的に〝死〟へ向かってしまう場合も多々あるからです。
 

話の内容は私の想像を遥かに超えた内容で、単純に想像してみた時に〝自分だったら絶対に決められないだろう〟と明確に思いました。
 

事故や病気が原因で大掛かりな外科手術を受ける場合は選択肢がありません。

しかし病気や事故が原因でなく整形手術する場合は自分の明確な意志による決断です。

整形手術のドキュメンタリーを何本も観ましたが〝想像を超えた痛さだろうな・・・痛いの嫌だな・・・そこまでして改造したい気持ちって強烈・・・〟としか言いようがないものです。
 

目的がどうであれ、肉体を改造するには想像し難い苦痛・激痛を乗り越えなければいけません。

そして手術が済んだら昔の身体には戻るのは不可能です。
 

性転換に関するドキュメントを観た時に辛烈に心に残ったことがありました。
 

それは男性から女性へ性転換した人たちの自殺率の高さです。
 

女性の身体になったのはよいけれど、元々男に生まれているので精神的におかしくなってしまうケースが多いと解説されていました。

インタビューした友人もちょうどホルモン投与の真っただ中で、精神的にかなり辛そうな感じでした。
 

ホルモンバランスの変化は更年期障害にみられるように、精神的なバランスに大きな影響を与えます。

性的な欲求が通常よりも高まるくらいならまだ楽しいかも知れませんが、誰を見ても発情してしまったり、理由もなく落ち込んで悲しくなったり、 鬱に入ったり、 苛々して怒りやすくなり、理由もなく攻撃的になったりするものです。
 

男性の場合でもテスタストロン投与をすると、ムラムラして性欲が湧く、身体が細かく振動する緊張状態が続く、吐き気や目眩い、頭痛に苛まれるなど様々な副作用が現れる可能性があります。
 

外科手術による肉体改装は痛みを伴うものですが、ホルモン治療も壮絶な戦いなのです。
 

性転換の場合はそれらの難関を乗り越えても叶えたいという強い願望がなければ、そうそう簡単には決められないはず。

何年もかかれば医療保険なしでは巨額な金額も流れていく。
 

そこまでして女性または男性になりたいという気持ちの強さは、願望を超えた渇望なのだとわかるようになりました。
 

この想像を遥かに超えた性転換の世界は、生まれ持ったままの肉体に疑いを持ったことのない普通の人には理解が難しいものには違いないでしょう。
 

その長い行程も試練もさることながら、最も心を動かされたのは自分が本当に求めている姿になるための〝勇気〟です。
 

彼女とのインタビューが終わった時には、目の前に座っている友人は、男とか女という性別を超えた、別次元の〝知性〟を持っている存在のように感じられました。
 

会話の最後に「自分で自分のことをどう思っている? 男なのか、女なのか、それとも全く新しい別な存在なのか?」と聴いたのです。

彼女の答えは「新しい別の存在というのが最も近い」と言っていました。
 

もともと男性女性の二種類しか基本的に存在しません。

しかし性転換という行程の中で、一般的な性別を超える新しい性、または新しい生の形が生まれるのでしょう。
 

そしてこの時点から、頭の中にあった小説という仮想現実は、とても曖昧な想像の世界から、現実的な部分を含めた本格的な創造のプロセスへ動き始めたのです。

そして主人公のうちの一人、COCOを登場させた瞬間から、それまで曖昧だった筋書きは明確になりはじめ、小説を書くというドライブのギアが入ったのです。

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2014年6月20日金曜日

青いイルカと泳いだ日・リアリティーの中のトランスジェンダー

アロハ
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トランスジェンダーの友人とお近づきになった結果に〝性転換したい動機〟というのをよく考えるようになりました。

私は理解したい人なので、いったい全体どういう世界なのか、そのダイナミクスを知りたくなったのです。

当時の私の頭の中では、ゲイとトランスジェンダーは完全な別世界に分類されてたので身近な存在だとは思っていなかったのです。

しかしローカルのゲイコミュニティーに入り込んでいくほど、実は性転換を果たした人、その途中の人は周囲に沢山いたのです。

そしてリアルな性転換者に初めて出会って話し始めたら世界が少しシフトしていました。

エっ? こんなに沢山いらっしゃるのですか?

気づかなかったのは私だけ?

それに気づいてしまうと、まるで性転換者たちのことを勉強しなさいとでも言われているかのように、私の意識は性転換係の人たちの存在を自動的にピックアップするようになったのです。

ハワイで初めてルームメイトになったアメリカ人の男性は女性と性転換したいアジア系の男の子に恋に落ちていた状態で、気がついたら自分の周囲には女性になりたい男性の比率が増えていました。

ハワイは昔から文化的に同性愛者に対して差別意識が少なく、ヘテロ男性でも女性的に丸い波動というか、ソフトな雰囲気の男性も多いのです。

様相がソフトだからゲイだと勘違いされる男性も多いわけですが、外見はやや女性的な男性でも、実は女性を愛する男性だったりするのです。

キャプテンクックが初めてハワイ諸島へ降り立ち、昔のハワイアンたちと出会った時に彼らを描写した記録が残っているのですが、そこにも「原住民の多くは男性でも女性的な丸さだ」と書かれています。

そんな実生活の背景が頭の中で進んでいた仮想現実の中に取り込まれ、三人の登場人物の一人を頭の斬れるトランスジェンダーにしてみたのです。

二人のゲイ男性とのコントラスト/対比という意味で、トランスジェンダーの方が自然な流れでもあったと思います。

これは考え無しの思いつき的なもので、もしレズビアンの友人を紹介されお近づきになっていたら、登場人物はレズビアンになっていたというレベルでの選択です。

小説を書き始めた時点では、登場人物といっても三人共に性格設定などありもせず、ただ登場するだけでした。

そして私は 仮想現実の世界を造った神様として、 三人の登場人物に命を与えるという試みに踏み切りました。

そんな感じで頭の中の仮想現実の世界はホンの少しだけリアリティーを増しましたが、頭の中の世界を生き続けさせるためには、さらに発展させる必要がありました。

登場人物がいてもそこに性格を通じての言動が無ければ進みません。

始めの頃は登場人物の性格といってもかなり漠然としたもので、自分でも一体どんな人物として描きたいのかよく解っていなかったと思います。

それは小説として内容やストーリー性が固まっていたわけではなかったからです。

それから思ったのは小説をリアルに書き進めるためにリサーチする必要があることです。

男二人がゲイという設定にハードルの高さは感じませんでしたが、トランスジェンディングの方は難易度が高いことに気づき、私の頭は理解の壁にぶつかりました。

性転換した友人に関して抵抗は全くありませんでしたが、性転換に関しては全く未知の世界で、よく解っていなかったというりよりも〝無知〟でした。

そんな感じだったので性転換の部分を書くことに自信はなく、何となく想像することはできても現実として書くことは難しいし、解らないものは想像の域から出ることはありません。

曖昧な理解が嫌いな私の脳の構造は、より具体的に知りたいと考えました。

私は男性の身体に満足している人なので その背後に自分の身体を性転換して女性になりたいという強い欲求があったわけではありません。

一体ぜんたい、どういう理由で性転換したのか、どういう思考で、どういった精神性なのか、もう少し深く知りたくなったのです。

続く・・・

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2014年6月19日木曜日

青いイルカと泳いだ日・元男性との出会い

アロハ
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彼女との出会いは印象的で、ワイキキ湾へ泳ぎにでてビーチに戻ってきたら彼女が浜辺に座って本を読んでいたのです。
 

彼女は日系三世。

真っ白なワンピースの水着姿でした。
 

私にとって白い水着はビビリもので、それを着る度胸というか自信の在り方に関心しました。
 

昔は白い競泳用のスイムウェアを持っていましたが着るのにカナリの抵抗がありました。
 

肌色の裏地が張ってあるので肌が透けて見えるわけではないのですが、水に入るとその他の水着の色よりも透き通って見えるように思えてしまうのです。
 

この時の彼女は水に入っていて濡れていた感じはなく、白い水着というだけで、なぜか浮いたように目立っていました。
 

ゲイビーチにも普通の観光客やサーファー達も出入りするし、女性が一人で日光浴をしていることは普通にあります。
 

友人Aから彼女は男性から女性へ性転換したトランスジェンダーだと聞かされるまで、元男性だとは思いもしませんでした。
 

顔は男性的ではないし、胸もついていれば叉間の盛り上がりもない。
 

何も知らなければごく普通の女性に見えるクォリティー。
正直なところ、少し驚きました。

 

ただの驚きだけではなく、なぜか新鮮だと感じてしまったのです。
 

まったく予期してなかった人生の中の不思議な出会いとでもいうのでしょうか・・・。
 

紹介された後にトランスジェンダーだと知らされた時は、エ? でした。
 

それほど女性としての違和感が無かったということです。
 

それまでの実生活の中にトランスジェンダーという存在が現れることはなく、 男性から女性へ性転換したトランスジェンダーの女性だと理解するまで、少し頭の整理が必要なほどでした。
 

彼女との出会いで感じた驚きは性転換だけではありません。
 

この方はショックなくらい頭の回転が速いのです。
 

どれくらいIQが高いのか考えさせるほど頭の回転も、内容の処理能力も普通以上に速く、センスよく知的なのです。
 

ゲイの方々もドラッグクイーンの方々も頭の良い人が多いのですが、それ以上にIQが高いことは即座に解りました。
 

よくよく話しを聴いてみると大学の専攻は法学部で、弁護士を目指して勉強し、当時は無営利のヴォランティアで法律的な相談を受ける団体で働いていました。
 

どうりで頭の回転が普通の人よりも格段に速いわけです。
 

私はIQレベルの高い人に魅力を感じてしまう人なので、もし彼女に通常のレベルを超えた知性を発見しなかったらさほどの興味は持たなかったかも知れません。
 

私のサイキックな感覚は、彼女の頭脳の普通ではない、鋭利的だとも言えるくらいの思考プロセスの速さに驚いたのです。
 

彼女の外見よりも、彼女の中身、脳みその構造に興味が湧きました。
 

異例な頭の回転の速さ、閃き、輝きに対して惹かれたのです。
 

サイキック感覚も微細になっていくと、相手の頭の中の波動の動きや早さも感知できるようになります。
 

頭の回転の速い人は会話で生まれるインタラクションの間に時差がありません。
 

肉体部では元男性だと知らされてしまうと彼女を捉える視点が変わってしまい、内心では少し失礼かもと思いつつ観察してしまいました。
 

そういわれれば腰のくびれが一般的な女性よりもやや太いけど、でも男性には見えない・・・。
 

普通の女性だって腰の太い人や骨太の方は沢山いる。
 

彼女の場合はアジア人系ということもあり、元々から骨格の基礎も顔の造作も男性的ではなかったのだと思います。
 

お肌に至っては、シミもなければ肌の荒れも全く発見できない美しい理想的なコンディションの白い肌。
 

とにかく鮮烈とも言える巡り会いだったことに違いはなく、 そのビーチでの出会いを皮切りに、パーティーで再び一緒になったり、彼女の家のパーティーに呼ばれたり、バーやナイトクラブで一緒になったりしたので友達レベルまでお近づきになったのです。
 

続く・・・

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2014年6月18日水曜日

青いイルカと泳いだ日・ボーイズとの出会い

アロハ

いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆



 ★ボーイズとの出会い

クイーンズサーフに頻繁に出向いてリーフ内やワイキキ湾の中を遠泳するようになって友人や知り合い達が増え始めました。友達の友達やら知り合いやらに紹介されたり、一緒に食事したりという具合で友人知人の輪が広がるわけです。

社交的な人はネットワークが広いので、そういう人と一緒に外出すると誰かしら新しい人と出会うのものです。

友人が増えると、飲みに行ったり、クラブに踊りに行こうと誘われる割合も増え始めました。
 

学生時代は行動範囲も広く、友達をつくるのは難しく感じていませんでしたが、一度社会人になって家と会社の往復が始まると、同僚以外で新しい友人をつくるには意識的な努力が必要です。

家と会社の往復だけでは新しい人間関係は広がらない。

会社とは別に何かのソーシャルクラブに属するとか、自分で率先して友人づくりに精を出さないと友人の数はそうそう簡単に増えないのです。

特にアメリカ生活はゼロからの出発なので大変でした。

シアトルでもマスターズのスイミングチームを見つけて通ううちに知り合いも増えましたが、その頃は英語もあまならない状態であまり深い会話もできず、友人関係は進展しませんでした。
 

クイーンズサーフの場合はアウトドアで、基本的な設定としてビーチに出てくる人は大抵の場合リラックスしているし、オープンな方が多いので知人になりやすかったと思います。

アメリカ人グループの中に日本人ひとりという場合が断然に多かったのですが、日系人の住民数が最も多いオアフ島というのもあり、日系三世や四世といったローカルジャパニーズの人たちとも知り合いになっていきました。

そういう意味ではクイーンズサーフはローカルの社交場的な役割を果たしている部分が多くあります。
 

そんな感じで知り合いや顔見知りは増えていくのですが、そこから進んで親しい友達になるのは別問題。

趣味や話題が合わないと打ち解けて話せるようになるまで時間がかかる。

知り合う人たちの個性も千差万別ですから、その中でフィルターされて友人として身近に残るのは僅かな人数だとしか言いようがありません。

きっとこの部分は日本人社会でもアメリカ人社会でも同じでしょう。

出会いの場が遠泳だったり、ビーチでの社交だったりしたわけですが、その中で大きな影響力を持っていたのが年齢です。

その頃の友人の輪は30代後半から40代後半までと比較的に高い年齢層だったので、必然的に同じような年代と引き合っていました。

年齢差があまりに掛け離れ過ぎていると会話も行動もかち合わないし、人生もアラフォーになるとアラサーの時と同じノリで人間関係が進んでいかないのは当然です。

歳を経る毎に落ち着きは増していきますが、その反面にお肌のツヤと張りも輝きが失われていく・・・。

毎晩のようにバーやクラブに出かけることもなくなり、アッチこッチのイベントやサークルをホップ・ジャンプして廻るのも極端に少なくなります。

30代後半に書き始めた作品ですから、 小説中に登場する人物が30代後半から40代の設定になったのはそういう背景からです。

この年齢層のなかで繰り広げられるドラマは、二十代やアラサー時代の在り方とは趣が違うでしょう。

もう少し若い世代のドラマ設定だったら話しの内容も方向性やテーマ、雰囲気も全く違ったものになっていたと思います。

40歳代前後というのは、青年期から成熟した大人になり始める時期で、生活様式やリレーションシップ、人間関係などと共に、肉体的な部分も変化の兆しを現しはじめます。

この小説の主軸の一部は青年期から壮年期へ移行するゲイの男達の変容の姿なのです。

マハロ!

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2014年6月17日火曜日

青いイルカと泳いだ日・本の魔法

アロハ

いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆

 

この作品は英語で書き始めたもので、約半年後には初稿を書き終えていましたが、その頃の英語でのは完成度はとても低く、出版するなど到底考えられない状態でした。

しかし勇気をだしてその初稿を数人のアメリカ人の友人に読んでもらったのです。

一人はCOCOの主なモデルになった友人で大学は法学部、英文学と創作文の修士課程も終わらせた方です。

もう一人はビーチで知り合った元高校の英語教師で、演劇クラスを教えていたゲイの叔父さんでした。

今から考えると、最初に渡した二人が執筆や文学の素人ではなかったことに不思議を感じざる終えません。

そして読んでもらった二人の意見はほぼ同じような反応でした。
 

英語が母国語でない日本人の私が英語の小説に挑戦したわけですから、読む方は初めから難度が高いのは丸見えです。

最初に指摘されたのは英語の文法や言葉遣い、単語力の無さです。

私の当時の英文力は幼稚園レベル。しかし内容は褒められました。

元英語の先生は「未完成だけれど、磨かれていないダイヤモンドのような作品だから、どれだけ時間が掛かってもよいから完成させなさい」と励ましてくれたのです。
 

彼いわく「読んでいると、所々でキラキラと光る何かを見つけ、その輝きが最後まで読み続けさせた」と言うのです。
 

そして彼は「小説には法則がある」ことを教えてくれました。

例えば西部劇には特有な設定と構造、登場人物の位置関係、展開のされ方に法則があり、それを踏まえて書けば必ず売れる作品になるというのです。
 

小説を書くのにも成功する法則があるんですか・・・? と唖然となりました。
 

実際に書き進めている段階では、小説としての構造、順序立てを意識して進めていましたが、始めから法則に乗っ取っていたわけではありません。

私の中にあった法則に近いものと言えば、一般的に説かれる〝起承転結〟だけでした。
 

誰でもメリハリの無い物語や映画は引き込まれず、途中で飽きてしまうはず。

クォリティーが高い作品は、 最初から最後まで読者を飽きさせず、ヒネリやトリックも使いながらグイグイ引っぱっていき、感動するラストで終わるもの。
 

まずドラマの起点があり、中盤までに登場人物を紹介して解らせ、その中でテーマと行方を提示する。

それから幾つかの山場を超えてクライマックスへ向かい、最もインパクトが強くドラマッチクなエンディングへ突入する。

そして最後は話しを締める短いエピソードで終わる——。
 

この部分は数え切れない程の映画やテレビドラマを見続けているのでハッキリと解っていました。それが私の中の基本的な黄金律ですが、法則というよりは、最も基本的なガイドラインだと思います。
 

そして英文学と創作文の修士課程を持つ友人も同じような体験を話してくれました。

彼女は英文の酷さに幾度も諦めかけたのです。

そしてある晩に不思議な夢を見たと話してくれました。
 

彼女は夢の中で「諦めずに最後まで読みなさい」と告げられたのです。

彼女の正直な感想として「英語の完成度は幼稚園レベル。しかし最後まで読んで驚いたわ。もっと登場人物の正確を掘り下げる必要があると思うけど、諦めずに完成させなさい」と言ったのです。
 

英語力の問題は何とかして上達させるしかないので反論もなにもありません。

しかし、 二人の感想は私の中で色んなことを考えさせました。
 

私のアンテナが引っかかったのは、彼らが小説を読んでいて体験した不思議なことです。

特別にサイキックな能力があるわけでもない二人に、説明がつきにくい不思議な体験が現れたこと。

これを聴いた時に、この小説そのものに作者である私という個人を超えた何かが働いているということが明確に理解できました。
 

なぜなら私自身もこの小説を書くという行程の中で不思議な体験をたくさんしたからです。

例えば考えなくても台詞が頭の中に浮かんでくる。

進まない箇所で悩んでいると、何かの切っ掛けでいきなり書けるようになる。 執筆の中で最も震撼したのは、まるで筆が止まらない自動書記のように書き続けたときです。

何かのはずみでギアが入ってしまうと、あらかじめ用意されていたかのように対面しているシーンの映像や各キャラクターの台詞が自動的に次から次へと脳裏に浮かんでくる。

私の仕事は、その流れを止めずに可能な限り波を追いかけ、そのリズムに乗って勢いを止めずに書き留めるだけ。そんな調子で書いた場面が何カ所あったか・・・。
 

英語版の初稿は誰が読んでも荒削りで未熟な状態でしたが、それでも諦めて放り出せない磁力があり、 どうにかして英語の作品として読める文章のレベルにまで引き上げたいと諦めずに編集し続け、自分なりのベストを尽くしてなんとか仕上げました。
 

日本語版の方も下訳的な段階では苦労しましたが、変な日本語を本格的に直し始めた頃から書き方の変化に気づきました。

それまでは英語版に合わせようと努力していたのですが、ある時から加筆が多くなり始めたのです。英語では上手く書き切れなかった部分に差し掛かると自動的にスラスラと言葉が出てくるのです。

母国語ですから書きやすくて当然なのですが、それだけではなく英語で書いていた時に経験した自動初期的なことも短めな感じですが多々起き始めました。
 

日本語版の出版が決まる前に、身近な日本人の友人達に読んで感想をもらったのですが、その中で興味深いものがありました。
 

「読んでいると映像でイメージが浮かんでくる」

「読み終えて気づいたらものが綺麗に見えるようになっていたのが不思議だった」


「以前よりも色が鮮やかに見えるようになった」


この現象はペルーの旅行記「聖なる谷:空中都市マチュピチュを超えて」を読んでくださった方からの感想の中にもチラホラと現れていたものです。

正直なところ、どうしてこういう現象が起きてしまうのか私にはよく解りません。

ラ イブでテレパシー的に頭の中のイメージを誰かに向かって送るというのならまだ理解できますが、文字で書かれている風景が、映像として頭に浮かんできたり、 色が綺麗にみえるようになったという現象は、遠隔でヒーリングを受け取った方々からの感想と同じ線上にあるとしか思えません。
 

小説は文字で、写真や絵、イラストや映像というのは大きく違うものだと思うのですが、映像として書きたかった小説は、読み手の頭の中で色鮮やかなイメージとして再現されてしまうのは興味深いと思います。
 

小説をお読みになって何かの不思議体験をされたのなら、是非とも教えて下さい☆

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