2014年6月12日木曜日

青いイルカと泳いだ日・脚本から小説へ

「ブルードルフィン」の書き始めは小説ではありませんでした。

昔から映画が好きだったので、10分くらいの映像を造ってみたいと自慰行為的に想像し、その作品のためのプロット的なアイデアをノート的に書き始めたのが足がかりです。

アイデアは「ワイキキの海の中を泳ぐ」という、然したる内容も筋書きも無いもので、映画の脚本というレベルでもありません。



初めは単なる頭の中にある空想世界に浸って一時的に現実頭皮する的なもので、当時の私には〝こういうものを造ってみたい〟という、仮想の世界が必要だったからです。

それに加えてグラフィックという平面の世界を超えて立体的なもの、動くもの、生きているもの、それを映しだせる映像に対する興味が大きかったのもあります。



タイトルも「SWIM スイム」というサブジェクト名で、その単純なアイデアには4つの項目しかありませんでした。

・友人とクイーンズサーフで落ち合う

・一緒にビーチからワイキキの沖まで泳ぎ出る

・ワイキキ湾の中を渡ってロイヤルハワイアンホテルの沖まで泳ぐ

・再びクイーンズサーフまで帰って来る

筋書きも台詞もない短い作品なら、何とか自力で制作することが可能かも知れないと思ったのです。

頭の中のイメージを絵コンテとしてボードに描くことも考えましたが、クライアントに頭の中のイメージを絵コンテで表現して見せる必要はないのでボードには起こしませんでした。

そこで散文的なシナリオとして英語で箇条書きを始めたのです。



このアイデアは、クイーンズサーフからワイキキ湾沖まで泳ぐことの大変さから生まれました。

それは泳ぎの達人でも困難さを感じるからです。

難関を突破して、ほぼ人がいないワイキキ沖に浮かんでリラックスする気持ちよさ。

ホテル群や、ビーチ、ダイヤモンドヘッドを眺める贅沢さなどが焦点です。

そして再び泳いで帰り、難関の岩礁へ決死の覚悟をして泳ぎ続けるというものでした。

クイーンズサーフから沖へ泳ぎ出ることは挑戦的で、それを超えれば素晴らしい世界が待ち受け、再び難関に挑戦するというテーマです。

危険を冒して泳ぎ出なければ感じることも、眺めることも不可能な別世界を〝映像にしてみたい〟という仮想世界=ファンタシーだったのです。

砂浜のワイキキビーチから沖まで泳いででるのは、遠泳が得意なのであれば簡単なのですが、岩礁に囲まれたラグーンになっているクイーンズ・サーフの場合は、そこから泳ぎ出るのが大変なのです。

時間帯によって波が押し寄せ、水位も上下するので、タイミングが悪く礁が顔を出していると泳げない水深の低さになったりします。

またリーフから泳ぎ出るのは難度的に楽ですが、戻って来る時はエライ大変なのです。

波が強すぎて激しくブレイクしていたり、水位が極端に低くてリーフの中へ入り込めない悪状況の時はクイーンズサーフに戻れないこともあり、そいう場合は楽 に砂浜のビーチに上がれる場所までカナリの距離を引き返すか、遠回りをして先のカイアマナビーチまで泳ぐことを余儀なくされます。

そんな遠泳の行程を文字にしたのが始まりだったのです。



小説と脚本のスタイルは大きく違ったもので、脚本の場合は文章的な飾りや形容詞などは全くありません。

脚本に書かれているのは、場面の設定、登場人物、台詞、アクション、カメラの動きといった感じの箇条書きです。

舞台:ワイキキのクイーンズサーフ

背景:青い海原、ビーチでは沢山の男達が日光浴をしている

登場人物:男A(30代後半) 男B(40代前半)

アクション:ビーチから海に入って珊瑚礁と岩礁を泳ぎ抜けてワイキキ湾の中へ出て行く

台詞: 男B
じゃぁワイキキの外海に出て、ロイヤルハワイアンホテルの沖合まで泳いで行くからな

台詞:男A
えっ? そんなに遠くまで泳いで行くっていうのか?

こんな感じの超シンプルな台詞の箇条書きなわけですが、脚本に挑戦と言っても学校で脚本の書き方を習ったわけではないので、ネットで検索して映画のシナリオを読んで、脚本がどういう風に書かれているのかを調べたりしました。

そんな感じで思いつきで書き始めたものが、最終的に長編小説になってしまったのです。



この脚本的な試みは実際に水中カメラを頭につけて泳いで撮影とまでは進化しませんでした。

後に水中デジカメというものに幾度か挑戦しましたが、水の中での撮影というのは想像していたよりも難しく、素泳ぎのスノーケルや、短いスキンダイビングなどで海の世界を自分の頭の中のイメージ通りに撮影するのは無理だと諦めました。

当時はいま大流行の兆しにはいっている多目的アウトドアカメラで水中撮影も可能なGO!Proも発売されてなく、手頃な価格の水中デジカメも比較的に柔な品物で、本当は水漏れしないはずなのに、カメラが壊れてしまうということが合計4台続いたので諦めました。

実際に水中を撮影しての映像化は断念しましたが、そこで頭の中の仮想世界を捨て去ることはできず、単なる泳ぎものという内容にフレンドシップというテーマを加えようと思い立ち、そこで登場人物というものを考え始めました。

この段階でも小説ではなく、シーン設定と短い台詞だけだったのです。

元々は10分くらいの映像というアイデアだったので、台詞と言ってもドラマ的なものではなく、ドキュメンタリー的で挨拶的な日常会話が入る程度のものでした。

一緒に泳いでいたのはゲイの友人たちで、出発地点もゲイビーチでしたから、そこで当然のようにゲイな登場人物を組み込むことにしました。

それが発展して、遠泳の世界から友人を通してのソーシャルな場面の想定が始まり、そこでゲイ社会を組み込むというのは自然な成り行きでした。

今から振り返ると、トランスジェンダーを組み込まなくても、二人のゲイの主人公+彼らの周囲のゲイな人間関係で話しを膨らますことは可能だったと思います が、そんなゲイの男ばかりの世界の中で友人からトランスジェンダーの知り合いを紹介され、そこから色んな角度で私の中の世界観が変わり始めたのです。

慣れ親しんでいる世界に、新しい何かが突然に登場してきたわけですから新鮮に感じました。

そんな実生活の出来事の流れをそのまま冒頭のシーンに定め、とてもアンニュイな成り行きで小説化への第一歩が始まってしまったわけです。

そしてこの段階では、この三人を通じていったいどんな内容を書きたいのか、どういう話しの展開で、どういう小説にするかなど考えてもいませんでした。

小説内で彼らが自分たちの出会いの行き先を知らなかったように、著者の私も小説の行き先を知りませんでした。

この小説は書き始めた私が彼らの行き先を知りたかったので、書き進めた結果に小説になったのです。




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