いま続いているのは小説「ブルー・ドルフィン」のコンパニオン本でピクチャーBOOK「青いイルカと泳いだ日」の中からの抜粋です☆
この作品は英語で書き始めたもので、約半年後には初稿を書き終えていましたが、その頃の英語でのは完成度はとても低く、出版するなど到底考えられない状態でした。
しかし勇気をだしてその初稿を数人のアメリカ人の友人に読んでもらったのです。
一人はCOCOの主なモデルになった友人で大学は法学部、英文学と創作文の修士課程も終わらせた方です。
もう一人はビーチで知り合った元高校の英語教師で、演劇クラスを教えていたゲイの叔父さんでした。
今から考えると、最初に渡した二人が執筆や文学の素人ではなかったことに不思議を感じざる終えません。
そして読んでもらった二人の意見はほぼ同じような反応でした。
英語が母国語でない日本人の私が英語の小説に挑戦したわけですから、読む方は初めから難度が高いのは丸見えです。
最初に指摘されたのは英語の文法や言葉遣い、単語力の無さです。
私の当時の英文力は幼稚園レベル。しかし内容は褒められました。
元英語の先生は「未完成だけれど、磨かれていないダイヤモンドのような作品だから、どれだけ時間が掛かってもよいから完成させなさい」と励ましてくれたのです。
彼いわく「読んでいると、所々でキラキラと光る何かを見つけ、その輝きが最後まで読み続けさせた」と言うのです。
そして彼は「小説には法則がある」ことを教えてくれました。
例えば西部劇には特有な設定と構造、登場人物の位置関係、展開のされ方に法則があり、それを踏まえて書けば必ず売れる作品になるというのです。
小説を書くのにも成功する法則があるんですか・・・? と唖然となりました。
実際に書き進めている段階では、小説としての構造、順序立てを意識して進めていましたが、始めから法則に乗っ取っていたわけではありません。
私の中にあった法則に近いものと言えば、一般的に説かれる〝起承転結〟だけでした。
誰でもメリハリの無い物語や映画は引き込まれず、途中で飽きてしまうはず。
クォリティーが高い作品は、 最初から最後まで読者を飽きさせず、ヒネリやトリックも使いながらグイグイ引っぱっていき、感動するラストで終わるもの。
まずドラマの起点があり、中盤までに登場人物を紹介して解らせ、その中でテーマと行方を提示する。
それから幾つかの山場を超えてクライマックスへ向かい、最もインパクトが強くドラマッチクなエンディングへ突入する。
そして最後は話しを締める短いエピソードで終わる——。
この部分は数え切れない程の映画やテレビドラマを見続けているのでハッキリと解っていました。それが私の中の基本的な黄金律ですが、法則というよりは、最も基本的なガイドラインだと思います。
そして英文学と創作文の修士課程を持つ友人も同じような体験を話してくれました。
彼女は英文の酷さに幾度も諦めかけたのです。
そしてある晩に不思議な夢を見たと話してくれました。
彼女は夢の中で「諦めずに最後まで読みなさい」と告げられたのです。
彼女の正直な感想として「英語の完成度は幼稚園レベル。しかし最後まで読んで驚いたわ。もっと登場人物の正確を掘り下げる必要があると思うけど、諦めずに完成させなさい」と言ったのです。
英語力の問題は何とかして上達させるしかないので反論もなにもありません。
しかし、 二人の感想は私の中で色んなことを考えさせました。
私のアンテナが引っかかったのは、彼らが小説を読んでいて体験した不思議なことです。
特別にサイキックな能力があるわけでもない二人に、説明がつきにくい不思議な体験が現れたこと。
これを聴いた時に、この小説そのものに作者である私という個人を超えた何かが働いているということが明確に理解できました。
なぜなら私自身もこの小説を書くという行程の中で不思議な体験をたくさんしたからです。
例えば考えなくても台詞が頭の中に浮かんでくる。
進まない箇所で悩んでいると、何かの切っ掛けでいきなり書けるようになる。 執筆の中で最も震撼したのは、まるで筆が止まらない自動書記のように書き続けたときです。
何かのはずみでギアが入ってしまうと、あらかじめ用意されていたかのように対面しているシーンの映像や各キャラクターの台詞が自動的に次から次へと脳裏に浮かんでくる。
私の仕事は、その流れを止めずに可能な限り波を追いかけ、そのリズムに乗って勢いを止めずに書き留めるだけ。そんな調子で書いた場面が何カ所あったか・・・。
英語版の初稿は誰が読んでも荒削りで未熟な状態でしたが、それでも諦めて放り出せない磁力があり、 どうにかして英語の作品として読める文章のレベルにまで引き上げたいと諦めずに編集し続け、自分なりのベストを尽くしてなんとか仕上げました。
日本語版の方も下訳的な段階では苦労しましたが、変な日本語を本格的に直し始めた頃から書き方の変化に気づきました。
それまでは英語版に合わせようと努力していたのですが、ある時から加筆が多くなり始めたのです。英語では上手く書き切れなかった部分に差し掛かると自動的にスラスラと言葉が出てくるのです。
母国語ですから書きやすくて当然なのですが、それだけではなく英語で書いていた時に経験した自動初期的なことも短めな感じですが多々起き始めました。
日本語版の出版が決まる前に、身近な日本人の友人達に読んで感想をもらったのですが、その中で興味深いものがありました。
「読んでいると映像でイメージが浮かんでくる」
「読み終えて気づいたらものが綺麗に見えるようになっていたのが不思議だった」
「以前よりも色が鮮やかに見えるようになった」
この現象はペルーの旅行記「聖なる谷:空中都市マチュピチュを超えて」を読んでくださった方からの感想の中にもチラホラと現れていたものです。
正直なところ、どうしてこういう現象が起きてしまうのか私にはよく解りません。
ラ イブでテレパシー的に頭の中のイメージを誰かに向かって送るというのならまだ理解できますが、文字で書かれている風景が、映像として頭に浮かんできたり、 色が綺麗にみえるようになったという現象は、遠隔でヒーリングを受け取った方々からの感想と同じ線上にあるとしか思えません。
小説は文字で、写真や絵、イラストや映像というのは大きく違うものだと思うのですが、映像として書きたかった小説は、読み手の頭の中で色鮮やかなイメージとして再現されてしまうのは興味深いと思います。
小説をお読みになって何かの不思議体験をされたのなら、是非とも教えて下さい☆
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